2014年2月17日月曜日

広島カープ 春季キャンプ@日南 2

順番が前後する形になったが、続きを。
油津に到着したのは午前10時半を過ぎた頃だったと思う。ナビによる標準の所要時間が2時間半だから、ほぼ予測通りに進んできたことになる。天福球場に向かったが、案の定駐車場は満車。誘導係の方によると、油津漁港に臨時駐車場があり、そこからシャトルバスが出ているとのこと。天福球場から油津漁港までは何人かの整備員が立っていたので迷わずに着く事ができた。球場は山の中にあったが、そこから山を下るとすぐに漁港に出た。



車を降り、球場行きのバスを待つ。しかし、どうやらすぐには来ないようだ。球場まではおそらく歩いても10分程度なので、歩く事にした。早くキャンプを見たいという気持ちがはやっていたので、じっとバスを待つということに耐えられそうもなかった。
僕の前を父親と子ども二人の3人組が歩く。子どもは野球帽に被り、手にはグローブをはめている。本当にワクワクした調子で、球場までの道のりを歩いている。僕も、全く同じ気分だった。試合観戦に行くのとは気分が違う。球場全体がカープ一色であるし、選手やコーチ陣との距離も近い。なにより、プロ野球選手がどのような雰囲気で練習をしているか、見るのが楽しみでたまらなかった。


車で降りてきた山を、軽い足取りで登り球場へ着いた。球場のまわりは選手の旗がはためいている。僕は球場の観客席への階段を駆け上がり、しかし途中で引き返した。階段の下には選手の紹介が書かれたパンフレットと、この日の練習メニューが貼り出されていたからだ。僕はパンフレットを一部取り、練習メニューを写真に収めた。これでどこに行けば誰がいるかや、どんな練習をするかが分かる。この日、楽しみにしていた事として、ルーキーの3人がケース打撃に初登板するというイベントがあった。ケース打撃は昼頃から始まるようなので、それまではグラウンドにいようと思っていた。しかし、実際にグラウンドを見ると、野手陣は軽いミーティング中で、練習自体はまだ行われていなかった。


そこで、僕はブルペンをのぞいてみることにした。さすがに野球の花形である、投手陣の練習を見るために多くの人たちが集まっていた。

2014年2月16日日曜日

難所が滝〜宝満山

世間ではバレンタインデーであったが、前日に大雪が降るという予報があったので、前々から行きたいと思っていた難所が滝に行ってきた。仕事は代休だ。
JR宇美駅で降りて、西鉄バスで終点の「障子岳」で下車。ここから登山口がある昭和の森キャンプ場まで歩く。


 登山するか、ムショに入るかという究極の二択。今回は登山にしておきます。
ここではまだ雪は多くなかったので、福岡は降ってもこんなもんかー、と軽く油断していた。


まっすぐ伸びたスギ林が雪景色。スギに雪が降るとは、不思議な光景だ。
鳥の声もしないので、ここら辺からは音楽を聴いて歩き始める。まずはサカナクションをかける。夜とか雪とか、モノクロームな景色にはよく似合う。


難所が滝まで残り1.5kmの看板がある辺りで、雪がくるぶし上くらいまで増えてきたので、軽アイゼンを付けた。この判断は正解で、ここから先はどんどん雪が増え、足場もゴロゴロとした岩場になった。雪質はやや重たいけど思ったよりはずっとサラサラしてる。


登山口から1時間強ぐらいで、滝の直前まで来た。だが、ここは沢になっていて足場がさらに悪い。ここまでですれ違ったのは2人。平日の登山は人が少なくて気分が良い。あいさつついでに滝の様子を聞きたかったけど、ワクワク感が薄れるのでやめておいた。そして…

難所が滝へ到着。他に人はいない。雪こそ降ったけど気温は高めだったので、成長具合はピーク時に比べるともうひとつな気もするが、久しぶりにこういう景色を見れて満足。僕は寒冷地中毒だ。

充分に堪能していると、下から2,3人がポツポツと上がってきたので、場所を譲り、沢の下まで降りる。そろそろサカナクションにも飽きてきたので、「雪山の女王」こと松任谷由実先生でも聴こうか…。iPhoneが無ぇ!
どうやら沢を降りているうちにポケットから滑り落ちてしまったようだ。これは雪が解けるまで出てこないやつだ。絶望感のなか、急いで戻って探す。
雪の中からサルベージ。どこも壊れてなくて一安心だが、イヤホンが冷たすぎてとても音楽どころではない。気を取り直して、山の頂上を目指す。後から気付いたのだが、滝の横から三郡山に行くコースと、沢を登って尾根伝いに宝満山に行くコースのふたつがあったらしい。現地では後者しか分からなかったので、尾根を目指す。ここからは全く足跡がなく、しばしばコースを確認しながら進む。

沢を登ること20分、ようやく尾根に出る。風がギャンギャンで寒い!松任谷先生の曲も計ったかのようにBLIZZARDに変わる…。ここでたまらずモンベルの上着を着る。モンベル無かったら死んでた。モンベルありがとう。
すごく小いちゃいけど、たぶん樹氷だ。雪は膝上くらいまでの深さになってきて、歩くペースものろくなる。被写体が無いので枝とか葉っぱばかり撮ることに。
しばらく尾根伝いに歩いていくと、仏頂山の山頂に出る。800m級の景色とは思えんね。あんまり開けておらず、山頂っぽい感じではなかったので、最終目的地の宝満山へ向かう。相変わらず他の登山客には出会わない。綺麗な雪を自分が最初に踏みしめる感じ、一番風呂やらその他諸々の感覚に似ている気がする。


最後は鎖をよじ上り、ようやく頂上。登頂直前にかかっていた「恋人はサンタクロース」を聴いて思い出したが、この日はバレンタインデーだった。こんな26歳に誰がした…。
鈴緒も凍る寒さ。


晴れた日には英彦山や雲仙岳が見えるらしいが、今回もMr.ガス男の本領を発揮し、眺望は無い。しかし、福岡にもこんな景色があるのか。案外、やるじゃん。

下山の途中、博多と玄界灘が見える。 もうちょっと待ってたら頂上からでも見えたかと思うと、とガス男は嘆くのであった。しかし、帰り道は階段続きで退屈だ。




麓に降りると、太宰府へ出た。実はまだ行った事が無かったのでちょっとだけ観光してみる事に。
目視調査の結果、
・女子旅は多い
・男子のグループも何組かいる
・中国人、韓国人は多い
・山歩きの格好をした奴は一人もいない
ということが分かった。
韓国人のおっさんたちが、女子高生に声をかけて写真を撮りまくっていた。九大の紙袋を持ってたから研究者クラスタなのか?どちらにしても、うらやまけしからん話である。
























宝物殿では、井上雄彦先生が伊勢神宮に奉納した墨画をたまたま見ることができた。男子旅が多い理由はこれか。植物の根の話が面白かった。


春はもうちょい先ですね。僕の春もきっと…。梅が枝餅を食って帰りました。了。

2014年2月13日木曜日

広島カープ 春季キャンプ@日南 1

一昨日の話になるが、宮崎県日南市へプロ野球のキャンプを観に行ってきた。
わざわざキャンプに行ったのは、普段は本番の試合しか観ることがないが、その裏側では果たしてどんな練習が行われているのかということに興味があったからだ。それに、選手とファンの距離が近く感じられるというのも魅力だった。

前日は仕事を終えて、鹿児島中央駅まで新幹線にて移動、宿を取った。
翌日は朝、車を借りて日南まで向かおうと決めていたが、せっかく鹿児島に来たので、駅前の"朝市"で腹ごしらえでもしようと考えていた。しかし、実際に朝になり、街を歩いてみると朝市などはひとつもない。あとから分かったのだが、祝日は休業日だったのだ。市場は日、祝が休みなのでよく考えれば当たり前のことだが、"駅前朝市"という特性上、どうしても観光的側面から、こうした休日でも営業しているものだと思っていた。「祝日は休み」ということを知り、観光的要素の少ない、地元のために開かれた市場であるのだということを感じた。次のチャンスでは、是非足を運びたいところだ。

8時より、車を借りて走り始める。今回の軽は、ハンドルの高さが体に合わずすぐに腕が疲れてしまう。鹿児島ICより高速に乗るが、軽なのであまりパワーも出ず、特に坂道では相当にベタ踏みしないといけない。一刻でも早く球場にたどり着きたい気持ちとは裏腹に、高速ではほとんど左車線、速度をキープするのに終始した。加治木JCTから隼人道路(東九州自動車専用道路)に入る。右手を見ると、鹿児島湾に浮かぶ桜島が見えていた。頂上にはうっすらと雪のようなものが見える。この一年、色々な海を見たが、西日本の海はどこも穏やかな場所が多い。それは恐らく、湾や内海を多く見てきたからだろう。

隼人道路を末吉財部ICで降りる。鹿児島からの所要時間は約1時間ほど。ここからは日南までずっと下道を走る。いわゆる山道になり、鼻切峠を越えていく。はなきれとうげと読むらしいが、それほど寒さは感じず、むしろ一面の人工スギ林のせいか鼻がムズムズしてくる。こんな山道を1時間以上だろうか、ズンズンと進んでいく。11時を過ぎた頃、ようやく日南市油津駅に辿り着いた。あたり一面は、Carpの旗がなびいていた。続。

2014年1月15日水曜日

東北旅行 1日目 前半

1/3
朝6時、盛岡駅にいた。新宿から秋田・盛岡行きの深夜バスに乗った。座席が一番前だったせいか、スペースが狭く足を折り畳むようにして乗っていたので、些か体が痛かったが、思っていたよりは眠れたようだ。親戚との集まりで酒を飲んでいたからだろう。

盛岡の市街地は雪がやや積もっていた。ひどくはないが、凍結があり歩くには気を使う。雪道を歩くのは久しぶりだ。盛岡へ来るのは5年ぶりになる。といっても、前回も食事を取っただけ、今回もレンタカーを借りるまでの時間待ちだ。8時の営業開始と同時に車を借りる。行き先は特に決めていなかったが、直前に買った地図を眺めて、とりあえずまっすぐ海の方へ行き、宮古市まで進む事にした。


区界峠を超えて、2時間ほどで宮古へ着く。途中は雪道+山道であり、久しぶりに運転に緊張が走った。宮古ではまず、浄土ヶ浜へ向かった。



暖かい日射しと、波の音、カモメの鳴き声で作られた空間は思っていた以上に気持ちが良かった。海はよく見るが、これほど穏やかな海を見るのは久しぶりだ。普段は海を見に来てもすぐに帰ってしまうけど、ここはついつい長居をしてしまった。

浄土ヶ浜を離れ、次は田老町へ向かった。ここは、世界最強と謳われた防波堤があった町だ。宮古からは車で30分弱と行った所だろうか。少し腹が減ってきたので、昼食を、と思ったが手頃な店が見つからない。仕方がないので目的地付近で見つけたコンビニに入る。ここは津波の跡地にプレハブで出来ていたが、いつもと変わらないLチキの味がしてほっと落ち着いた。


腹も落ち着いたので、車を降りて少し田老を歩いてみた。田老に限らず津波の被害を受けた所ではどこもそうだったのだが、震災前にあった建物のコンクリートの基礎が剥がされ、各々の土地に山積みにされていた。


防波堤を超えて、海の方へ。途中、ホテルの跡地を見付けた。ここで驚くべき光景を見たのだが、なんと郵便配達人がいたのだ。もう3年近くになるのに郵便が届くとは、この建物に人が住んでいるという事だろうか??


海の目の前には、漁業施設で固められていた。元の生活を取り戻すのは大事な事ではあるが、住民の誇りですらあった防波堤が無惨にも乗り越えられてしまった時、元の生活というのは果たして想像できるのだろうか。一通り歩いた後、防波堤の上へ登ってみた。近くには、田老町の復興工事の概要を記した看板があった。どうやら、震災前よりも防波堤をかさ上げする対策らしい。つまり、前の姿に戻るということだ。
防波堤の上で、偶然にも町民らしき方にあった。かさ上げによる対策を説明してくれた後で「もう来んじゃろ…ははは。」と自分に言い聞かせるように言っていたのがすごく印象に残っている。少し、諦めの境地も含んでいたように感じる。「もう一度津波が来てしまったら…」という、誰もが想像したくないシナリオを取り入れた復興なのだろうか。町のあちこちに見えた「学ぶ防災」の旗が少し虚しく見えた。


2014年1月13日月曜日

YEAR END AND NEW YEAR

2014年一本目は年末年始を振り返る。

年末は仕事納めをして、そのあとも仕事へ出て…。あとは勢いに任せて毎日のように飲みに出ていたな。それぞれが楽しい時間だった。学生のとき以上に、「会えるうち、会っておく」といった生き急ぎ感が加速している。生き急いでいるのは気持ちだけで、実際の行動は大してスピードもないからギャップが出てる気がする。

帰省をした。24時間くらいしか滞在しなかったので、会ったのは親と親戚ぐらいなものだが、生存報告だけはしてきた。…線香をあげ忘れたのを思い出した。毎年変わらないメンバーが集まって正月を迎えられる幸せを、今年は一番感じたかもしれない。俺自身も去年は結構な経験をしたし、祖父は89にして家を出るようになった。今年は90(卒寿)のお祝いもしなきゃなぁ。ただ、90になったじいさんに何をしてあげれば良いのやら、なかなか難しい。食べ物飲み物もあんまり食べられないし、物はもう増えてもしょうがないだろうしなぁ。

帰省もそこそこにして、3日から5日までは東北を旅した。
この年末年始は、なにせ期間が長かったので、どこへ行こうか色々考えた。帰省をせずに海外で年越しも良いな、と思ったが、どこへ行っても日本人が多そうなので、結局は国内に焦点を絞った。
北海道はこれからも行く機会があるだろうし、関東近郊は味気ない、関西、四国は自宅の九州から近いし、戻るのもバカバカしい。ということで、消去法で東北へ。東北へ行ってからのことはまた別の記事に。

社会人始まって最初の年末年始はこうして過ぎていった。この陰には、原稿が上がらずに元旦から唸っていた自分もいたが、まぁ最終的に間に合ったのでとりあえずヨシとしよう。

今年の目標
・(問題が起こらない程度に)どんどん書く、ステップアップをする
・TOEICの自己記録を更新させる
・金を作る
・本を週に1冊は読む(弱気)
・体を作り直す
・広島カープのキャンプを観に行く
・山へ登る。くじゅうは最低でも。
・福岡に来た友人を案内できるように観光地を抑えたり、店を紹介できるようになる
・韓国へ行きたい
・道東へ行きたい

無理くり10個あげてみた。さて、いくつ達成できるかな。

2013年12月25日水曜日

天涯

初めて、沢木耕太郎氏のラジオ「天涯」を聴いてみた。Tokyo FMで毎年決まった日にだけ放送される。

文章のなかにある一歩引いた印象とは打って変わって、すごく饒舌な人だなぁと、前々から思っていたけれど、今回も良く喋っていた。旅や人生経験など、過去のことを話していることが多かったのだけれど、やはりその場その場でなにかを考えたりや感じたりして、なにがしかの感想に落とし込んでいる。
話そのものは特別なものというよりは、「ふぅん」といった感じものも多くて、特に素晴らしい結論、結末があるわけではないのだけれど、ここまで積み上げてきたものがあるから、言葉の重み、深みみたいなものを感じてしまう。たぶん同じことを別の人間が言ってもここまで聞き入ることは無いだろう。
意外と?リスナーは若い人が多かったように思う。就職活動中の大学生、新社会人…そんな人達と電話で会話を交わしていた。興味深かったのは、就活中の大学生に「面接のコツはなんですか?」と聞かれた時に、「話し相手に対して、すごく興味を持って接したり話しかけたりすること」と答えていたこと。氏曰く、インタビューのコツも同じだそうだ。何事にも、好奇心を持つ(ようなポーズ)をすることが大事なのだろうか。
もう一つ「どうすれば自分に自信が持てますか?」といった問いには「他人にほめてもらうこと」、「手を抜かないこと」という答えだった。氏はいわゆる「普通」の人生とは違った生き方をしているが、それも結局は手を抜かなかったからここまでやれてこれたのだ、と語っていた。その想いは、この番組の冒頭で氏が言っていた「in your own way」という言葉と、すごくマッチする感じがした。

とりとめのない感想だけども。

2013年12月23日月曜日

Tokyo Ska Paradise Ochestra 『Stand Out』 @ Drum Logos, Fukuoka-ken,Japan

−戦うように楽しんでくれよ−

初めてワンマンライブに行ってきた。スカパラは1、2回フェスで観る程度だったが、とても楽しい雰囲気だったのを覚えている。今回はたまたまライブがあるのを知り、鑑賞に至った次第である。生で音楽を聴くのは、実に1年半ぶりだ。

Drum Logosには開場の数分前に着いた。ここは、一度だけ前を通りがかったことがあるが、手作り感のある看板がなんとも良い味を出しているなぁという印象だった。今回もそれは変わらず、「東京スカパラダイスオーケストラ SOLD OUT」と、マジックで書かれている。物販を一見してみるが、Tシャツ、トートバッグ、それにCDやDVD…特に目新しさはない。ライブに行く度に、勢いでこういうものを買ってしまうと、部屋がTシャツやマフラータオルだらけになってしまう。

客層は、おそらく6:4か7:3で女性が多い。特に、自分よりも年上、親世代くらいの人も珍しくない。まぁ、自分が生まれるより前に結成された老舗バンドなのだから、なんら不思議ではないのだが、どんな雰囲気になるのだろうか。

開場後、中に入る。階段を上がり、ロッカーに荷物を突っ込みフロアーへ。天井が高く、床は4、5区画に分かれている。もちろん前に行くほど低くなっており、後ろまでの見やすさへの配慮がある。

ほぼ時間通りに開演。谷中さんの「戦うように楽しんでくれよ!」とのかけ声とともに演奏が始まる。フェスと違うなぁ、と感じたのはメンバー一人一人の個性を感じられたこと。バンドのライブって、なんとなくフロントマンやアジテイターが固定されていて、目立たないメンバーもいたりするものなんだけれど、スカパラにはそういう人がいない。メンバーが代わる代わる前線に出てきては、客を煽っていく。デキの良いサッカー選手のような印象だった。

さて、曲の批評とかするレベルの客ではないので、この辺りにしておく。Drum logosの評価だけをしておくと、終演後にアルコール提供ナシってのは、ないんじゃないか?せめて始まる前に教えてくれよ…。ライブ後の一杯が最高に美味いのに、サァ。